店長ブログ

振り返る ドイツ遠征 

6月18日~24日
ドイツ南部・フランスへ行ってきました。
日本代表ジュニアチームメカニックとして参加

2014 トロフィオ カルスベルグ
レースレポート等は、JCF公式ページにございます。

日本代表チームでの活動なのでオフタイムとメカニック視線で書ける範囲でちょっとご報告。

まず一番大事な大前提は、 みなさまご存知のツールドフランス があるヨーロッパ。
つまりロードレースの本場です。そのため自転車レースの文化がそもそも根付いてます。

今回の遠征でわたしが注目したのは、まず世界の高校生カテゴリーであること。
そして、遠方の本気の国々がわざわざヨーロッパに拠点を造っていること。
そしてその装備、機材をチェックできるチャンスだということ。

まずサポートカーのルーフキャリアは、ほとんどベルギーのビルダー製で
無駄なく積載量MAX。 レースで使用頻度の高いスペアバイクが素早く出せる仕様も目立ちました。
チームによっては、パリルーベ用に補強した車も所有するようです。

サポートトラック・サポートバン。
洗車道具、洗濯機、補給食倉庫、キッチンなど充実の装備。

自転車については、52X14のジュニアギヤであるのは当然ですが
なによりタイムトライアル競技のためにTTバイクとエアロスーツ、ヘルメット、
当然ディスクホイールも準備することが必須であると実感しました。

完全に別大陸のアメリカチームは、ヨーロッパの拠点よりTTは、サーベロP5
ロードは、チームバイクとしてFELTで揃えてました。

近隣の国でもスタッフは、陸送で2日かけて移動など機材スポーツなので
記録に貢献する機材は、コストかけてでも戦いに来てると感じました。

3日間で4ステージレース、日本代表チームは、ステージと走行成績の両方で
目的のジュニアネーションズポイントを8ポイント獲得しました。

いろいろな条件で今回TTバイクが1台しかありませんでした。
これから状況がもっと良い方向へ向かうことでしょう。
TTマシンが戦力となり結果が好転したのですから。

ステージ初日には、アンカーのスペアバイクも活躍。
あの専用ルーフキャリア、チームカーあっての流れの良さも感じました。

アクシデントあとのマシンで走る危険性、クラックの部位確認、レース中の交換判断、
成績の優先順位、メカニックとして磨く領域をまた再確認しました。

最終日までに何度かあったのが各チーム、自国以外のチーム同士でも
監督や関係者間でアドバイスが交わされたり、この環境全体で
ジュニアロード界を育ててる雰囲気を知りました。 

こちらのこのチャンピオンスポーツの場にいる事の重要性、
たくさんの先人達がいつも日本へ伝えていること。
百聞は・・・ 自分としては想定内でしたが 
早く、本格的な拠点と活動が可能になることを願うばかりです。

ジュニア~アンダー23~エリート
わたしは、実感しました。
日本代表ロードの現場は、ブレない芯と現実があるんです。
選手たちの強い意思と実は修行僧のように競技に取り組み続けてる生活。

( ゚ー゚)ノ)”ガンバレ日本。 
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振り返るインドネシア遠征 ツールドシンカラ2014

ツールドシンカラ2014 日本代表チームメカニック帯同では、
9ステージの初日、内間選手の優勝から始まりました。

ドイツでの日本代表ジュニアを見たからこそですが、個人的感想としては、
「ジュニアからしっかり準備してきたスマートなアンダー23選手たち」を実感しました。
詳細は、「チクリッシモ」をご参照ください。

サポートカーの中での作業もリーダージャージチームとして
ラジオツールの聞き取り、レースの捉え方を磨く必要を感じました。

インドネシアのこのレースコースは、道幅が狭いところが多く
それでいて急勾配の上りも下りもあり、選手もサポートカーもプロだから成り立つ領域と感じました。

テクニカルな下りで圧倒的な速さと安定の内間選手は、日本代表サポートタイヤのビットリアチューブラー。
セメントの下塗りしやすく、取り付けが容易で助かります。

最高の瞬間は、
プロカメラマン田中苑子さんによるこのシーン!

ツールドシンカラでは、ホイール交換がわりとありました。機材緊急調整・修理などありましたがラスト3キロルール含めてすべて復帰成功。
選手の自力の凄さと監督のサポートカー連携がスマートでした。

写真を見て思い出した。
斜行した選手に前輪を相手車体にロックさせられて前転してしまった選手。
アクシデントは、突然来るもんです。

レースゴール後は、その日によって違いますが長い移動の日が割と多く
洗車作業開始が夜9時前後の日などもあり、橋川コーチとダブルメカ体制で乗り切りました。

大会側のおもてなしが多く、洗車ホースも用意されていることがありました。

暑いレースだったのでサポートカー内でのボトル作業がマックスの日もありました。
梅丹の電解質パウダー、補給食では、梅丹cc、ccc、扱いやすくて助かります。

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インドネシア ツールドシンカラへ日本チームメカニック行ってきます。

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インドネシア、パダン周辺
9ステージ 1250キロのレース。

6月5日日本出発~6月17日帰国予定です。→そのままドイツ遠征のため6月25日に帰国予定に変更になりました。
日本代表選手団
9ステージ分の選手団のスペア機材は、かなりのボリュームで気合が入ります。

直前のツールド熊野でもそうですが、選手同様にレースじゃなきゃ手に入らないモノがやっぱりあります。
不在期間が長くなりますがいつものとおり、フィードバックしていきますのでご期待ください。

Hi-Bike 中村仁

番外編 サポートカーの中 

前に他チーム車がいて、そこそこ余裕のある時です。
ツールド熊野第2ステージ キナンチームカーの様子です。

6月5日から 日本ナショナルチーム選手団で ツールドシンカラ へ行って参ります。

お店は、塚田と直子さんにより通常営業です。<(_ _)>

ツールド熊野 アクシデント&暑さのタフレースでした。

クラブチームキナンAACAのレースメカニックとして、今回ツールド熊野に参加してきました。
UCI2.2レースということありサポートカーのレース伴走の意味を感じながら進行しました。
またパレード区間、スタート地点の駅、町、いたるところで住民の皆さんに応援されてとても驚きました。

選手は、キナンの選手とユーラシアの選手との混成スペシャルチーム。
5月29日木曜日のプロローグからはじまり、
30日、31日、6月1日 ともに山岳&テクニカル区間のあったコースでした。

初日30日のステージ
無線から落車の情報。
ホイールを持っていくと、ちょっと走行が無理そうな選手。
レースドクターにバトンタッチでレースサポートへ復帰。
この直後、サポートカーのバンパーに遅れた外国チーム選手がジョリジョリと当ててきた。
できたてほやほやのキナンラッピングなのに!保護テープを張っておくべきだった・・・

その後も落車、との無線が何度か聞こえてきた。なんでなんだ?

あとで様々な選手から聞こえてきたのは、集団がガラガラにスキマだらけだったようです。
つまり、スカスカで密集してないので器用な選手は、やりたい放題に位置取りができる。
不器用な選手は、油断するとライン外したり外れやすくなったと私は解釈しました。

集団全体のレベルが高いとより密集して、注意するポイントがかわり、
位置取りや簡単には上げさせなかったり、斜行が物理的にできなくなります。

そのあたりが気になった第1ステージ。
レース中は、落車の影響で2選手がサドルがずれたまま走行。
補給など無線で呼ばれるも片側一車線区間が迫り、なかなかいいタイミングで寄せられなかった。
集団に乗っていたので、完走最優先にそのままゴールまで乗ってもらった。 

私的には、ピットでカリスマメカにアドバイスが聞けたりととても収穫ある一日でした。
またアクシデントでレースから去った選手がおりとても残念だった。

31日 山岳ステージ
パレードのときからサポートカーのハンドル握る池田監督がかなりナーバス。
このコースの運転は、本当に大変なんだと。 
たしか運転相当うまいしそんな事言う方ではないのになぁ?
と思っていたら、KOMをすぎて道幅1車線分の峠の下り。
サポートカーでシェイクされるのには慣れているつもりでしたが
さすがに頭がクラクラしました。
選手の方も車体を傾け、シュンシュン下っていくし、
想定内ですが突然パンクで停まっている選手が出現したり、
違うチームの選手でもなんとかしないと危険、と判断したチームが助けていたり。
このあたりは、ステージレースらしい助け合いだなぁと。

あまりの暑さにボトルの消耗も予想を超えました。
登り区間では、熱中症かもと思える選手が多かった。
きびしいコースにふさわしく最後は、マンセボーという強力選手が優勝。
そう、ここはチャンピオンスポーツの舞台。そう感じた第2ステージでした。
ゴール後とある国の選手が●結飲んでるし・・・まちがったのかな。それとも?
まぁきっと相当内臓強いんだろな。

連日宿での洗車は、ホース一ヶ所でもここは日本。
みなさまと協力してマナー良く交代で使用。
GOKISOのホイール回転の軽さに驚きながら洗車。
IRCタイヤチューブレスも調子よく刺さりもなくパンクもなかった。

そして最終日。
ロードレースを観戦する方は、とても楽しめる状況。
接戦で逆転の可能性があり各チームの思惑が重なりあい予想できない状況でスタート。

ACAAからは、今日も2選手のみスタート。アタックが散発してるようだと無線情報。
そんななか序盤で1選手遅れてしまう。仕事としてカバーすべきは、残り1選手。頼むぞ~。
スタッフ一同ノーマーク選手の彼がアタックに乗ることを祈りながら進行。

下りコーナーでは、高速で荒れた路面を選手たちが攻める。
普通に段差コーナーは、30センチくらい横へ跳ねながらもハイグリップタイヤを使いこなしている。
そしてほとんどの選手が、むやみに高圧にはしていないのもポイント。
体重によるがやっぱり7気圧が多い。軽い人は6気圧台。公道だからなおさらかな。

と!無線でキナン選手のナンバーが。クラッシュとのこと。おぉぉ。No Way。
すぐに復帰と無線が入るが集団にもどったのか?
そんなうまい話はなく手を痛そうに、ガチャガチャ音をさせながらその背中が迫ってきた。

目視チェックするがパンクなし、フレームも割れてない。ブレーキレバー左側がインに入りこんでいる。
スペアバイクにするか迷ったが、サポートカーからDi2変速調整に成功。
ただ、フロントのブレーキキャリパー片効きがなかなか治せない。
回る車輪がそこあるので油断禁物。
一度止まってやるのも正解だが気がつくと下り区間になっている。この辺りの判断が課題でした。
そのあとも落ちたシートポストを治そうと走行しながらトライしましたが、これは失敗でした。
あきらめて増し締めに切り替えました。

今思えば、すぱっとスペアマシンに切り替える選択のが良かったと反省です。 
結局、集団のサポートカーの隊列まで戻ったがそこからレース集団へ復帰できなかった。
パンクにしてもアクシデントにしてもこういった時、TT的な走力が無いと厳しいようですね。

UCIレースとは、当たり前ですがホビーレースではなくチャンピオンスポーツ。
大事なUCIポイントと賞金が獲得できる勝負レース。
スタッフ、選手とも本当のタフさ、実力を試されるレースだと改めて感じました。

比べるには、私の経験が少な過ぎますが
やはりプロツアーチームのサポートカーと選手の関係、
動き、リズムがスマートで無駄なく、集団復帰の際もあのように走らせる技術があれば、
もっと安全に省エネで泳いで復帰できるとも思いました。

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キナンのみなさま ありがとうございました。
Hi-Bike 中村仁